ナダルのスピーチから学ぶ楽観主義
- 成瀬 まゆみ
- 2019年2月1日
- 読了時間: 3分
楽観主義者は、悲観主義者に比べて、メリットを享受します。 (『オプティミストはなぜ成功するか』などの書籍参照) 楽観主義と悲観主義を分ける大きなポイントは、「説明スタイル」と呼ばれるものです。 今日は、それのプチ説明と、
テニスの全豪オープンでのナダルのスピーチをからめて、 お話しします。 悪い出来事が起こったときのことを考えてみましょう。
悪い出来事が起こったとき、
悲観主義者は、「内的」で、「永続的」で、「普遍的」な解釈をします。
それに対して、楽観主義者は、「外的」で、「一時的」で、「限定的」に解釈をします。
例をとって説明しましょう。 たとえば、長年、つきあっていた相手に振られたとします。
悲観主義者は、こう考えます。
「内的」僕が何か悪いことをしたに違いない。
「永続的」きっと、これからもこんなことが起こるに違いない。
「普遍的」こうやって僕は長いつきあいを続けることができないタイプなんだ。 それに対して、楽観主義者は、こう考えます。
「外的」相手が気難しい相手だった。 「一時的」こんなことは、そんなにいつもいつも起こることではない。
「限定的」僕には、たくさんの友達がいる。決して、人間関係が不得意なわけではない。
もちろん、楽観的になって、終わり!というものではありません。
学ぶ機会を失くしてしまいますから。
ただ、いつも、いつも、悲観的に考えることは、
自分を痛めつけることになってしまいます。
そして、2019年の、
テニスの全豪オープンの決勝で負けたナダルのスピーチを聞いたとき、 まさに、この楽観主義の見本のようなスピーチだと思いました!! 聞いた方もいらっしゃると思いますが、 彼は、決勝で負けたあとのスピーチで、 こう言いました。 「今日は、僕の日ではなかった」 もちろん、自分のプレーを責めて、
落ちこむこともできます。
でも、彼は、さわやかに言い放ったのです。 はっきり言って、あの試合はナダルのボロ負けでした。 力で押そうとするナダルに対して、 ショットをコントロールし、 ナダルの得意なまわりこみのフォアを打たせないジョコビッチ。
「あ~~、あんな賢いテニスがしたいな~~」と思わずうなってしまうような、
ジョコビッチの試合運びでした。
「ナダル、今、起こっていることに関して、
もっと冷静になって、
力で押すやり方以外のこともやればいいのに~~」
素人ながら、そんなふうに思っていた私。
きっと、スピーチでは、
少しは、沈んだ内容のことを話すかなと思っていました。
しかし、ナダルは、
「今日は、僕の日ではなかった」 まさに、「外的」で「一時的」で「限定的」なスピーチではありませんか!! もちろん、ナダルがそれで終わるわけはありません。
そのあと、きっと試合のビデオを観て、 反省するところは、反省し、
改善点をチームと話しあったことでしょう。
しかし、あのスピーチの場で、
あれこれと悔やんでも仕方ありません。
「今日は、僕の日ではなかった」
その言葉に、
「今度は、『僕の日』にしてやる!」
という強い意志も感じることができます。
悪いことが起こったときに、 なんでも、他のもののせいにしろ、 と、言いたいのではありません。
悲観的になって、必要以上に自分を責めないことが
大事だということなのです。
フィジカルも素晴らしく、技術も素晴らしいナダルですが、
考え方に、その強さの秘密をかいま見たようなスピーチでした。 【私たちが、彼のスピーチから学ぶこと】
どんなボロボロの日にも、 自分を責めるのはやめましょう!

*写真はAFP通信のサイトからお借りしました!
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